本日は、創設者の5年前の記事からの改訂引用の文章にてお送りします。
根っこの部分の大切なことが記されていて、それは今でも変わらないからです。
日々暮らしていく中で、
「表現すること」「発信すること」について、よく考える。
妊娠・出産・育児を通して、
また、その前後の数年間で突然失った人やモノの存在を通して、
自分の価値観がガラリと変わった。
それと同時に、
「表現すること」「発信すること」の意義も、
明らかに変わった。
以前は、
「表現すること」は、自分のできる範囲で自由にやればいい。
「発信すること」は、求められたらやればいい。
今は、
「表現すること」は、人(とくに大人)にとって重大な任務。
「発信すること」は、表現にデフォルトでくっついてくるパーツ。
つまり、
「できたらいいこと」という捉え方から、
「しなきゃダメなんだ」という捉え方に変わったんだ。
そういえば中学生くらいの頃の自分は、
世の中に何かを発信するということは、
政治家とか、タレントとか、作曲家とか、作家とかいう職業の、
全人口からするとごく一部の、限られた人の特権だと思っていた。
だけど、大人になって、
昔よりは世の中が見えるようになって、気づいた。
ということに。
この社会で生きていくならば、
「表現すること」も「発信すること」も、
遠慮したり、おざなりにしたりしてはいけない。
それは、わたしだけでなく、
どの立ち場の人だって、そうなんだ。
だってたとえば、
どんなに優秀な政治家がいたとしても、
どんなに有名なタレントがいたとしても、
どんなにセンスのいい作曲家がいたとしても、
どんなに売れっ子の作家がいたとしても、
真の意味では彼らは彼らの人生しか分かり得ないわけだし、
できたとしても、ごく一定の人の気持ちの代弁しかできない。
仮に、
彼らが100人分の気持ちを、「わりと正確に代弁」できたとしても、
1億人の想いを代弁するには100万人の発信者がいないといけない
ということだもん。
それに、どうだろう。
100人分の気持ちを「わりと正確に代弁」するって
そう簡単にできることじゃないよね。
誰かの一瞬の状況や気持ちを代弁できたとしても
その人の人生全般を代弁することはできないよね。
とにもかくにも代弁には限界があるわけだ。相当の。
だから、
……と、思っている。
「機会があれば」とか、
「誰かに求められたら」とか、
そんなことを言っている場合ではないんだ。ほんとは。
少なくとも、今、胸の内にある想いは、
自分しか知り得ない。
自分が表現して、発信しなければ、
誰にも届かない。
絶対に届かない。
そんなあたりまえなことを、
幼少の頃にもきっと教わっていたであろうことを、
いつしか忘れていなかったか。
「伝えなきゃ、伝わらないんだ」
という、あったりまえのことを。
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2/27(土)、
そんな想いを込めて創った我らがWCCの
第2期生の公開“生”授業「企画発表会」があります。
「伝えなきゃ、伝わらない。
だから、伝える」
そんな意志を、
今回は13名の絵本作家の卵たちが
ありったけのエネルギーをつぎ込んで表現します。
ルールはいたってシンプル。
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制約の中でどれだけ「伝える」という任務を果たせるか。
「伝える」ことによって、どれだけ観てくれた人にパワーをあげられるか。
そこに向かって、今、13名の勇士たちが
寝る間を惜しんで自分自身を見つめ続けているはず。
当日は、
各々の発表に、各ジャンルのプロであるゲスト審査員の方々より
講評をいただきます。
また、来場者からの投票により最有力賞が選出されます。
今期はいつもより多く「一般聴講席」をご用意しました。
聴講にあたって、
絵本づくりのスキルや経験等の有無はいっさい問いません。
(なぜなら、「伝える」ための方法を観て学ぶ機会を得ることは、
ともすると、人としての任務のひとつなのでは…と考えているから)
同じメニューで開催したこれまでの公開“生”授業では、
たくさんの方より大満足だったとの感想を頂きました。
きっと、参加者すべての人にとって、後悔のないイベントになります。
「表現すること」「発信すること」の重要性を感じている人は、
ぜひ、足を運んでください。
詳細・申し込み方法は、以下の記事にあります。
https://woman-college.com/wp/info_20160227_kikaku/
……ということで、あと3日。
第2期生メンバーもスタッフも精一杯頑張るので
どうか応援のほどよろしくお願いします。